シェフ 小沢良太
かめ「たしか愛知出身でしたよね?」
小沢さん「はい、愛知です。豊橋市、渥美半島のあたり。」
かめ「じゃあ海が近かったんですか。」
小沢「海もあるし、山もありますね。」
かめ「山もあるんですね。どんな街なんでしょうか?」
小沢さん「暮らしやすい街です、と思っていたんですけど……、最近若い子に豊橋というと『ああ、朝倉未来ね』と言われる。それがいやで……(苦笑)」
かめ「するとだいぶブレイキングダウンな街なんだと。」
小沢さん「個人的には、うんん、って感じなんですけど、そのイメージが付いちゃってる。」
かめ「じっさい暮らしやすいというのは、どういう意味でしょうか。都会ともちょっと離れている、みたいなことですか。」
小沢さん「そうですね。すぐ行けば名古屋だし、浜松だし。新幹線も止まるし。」
かめ「そうなんですね。そこで生まれ育った?」
小沢さん「はい。名古屋の専門学校に通っていて、豊橋から2時間くらいかけて通っていた。」
かめ「遠いですね。何の専門学校だったんですか。」
小沢さん「デザインの専門学校でした。」
かめ「もともとはデザイン系をやろうと思っていたんですね。」
小沢さん「そうですね。」
かめ「で、あるところで料理に方向転換した?」
小沢さん「そうですね。専門学校を出たあと、就職しないでフリーターになって、何年かフリーターでいるあいだにいろいろバイトとかも変わって。それで豊橋駅の周辺を散歩していたら、『あれ、豊橋駅におしゃれな店ができたな』と思って電話したらバイトで雇ってもらえました。」
かめ「それは何のお店だったんですか。」
小沢さん「イタリアンとワインのお店です。」
かめ「それまで、そういうお店はあんまりなかったんですか。」
小沢さん「はい。豊橋にはワインを出すお店が全然なくて。なので、そのお店が走りみたいな。15年くらい前です。そこでアルバイトをさせてもらって、社員にならせてもらって。2店舗目を出す話になったときに、そこの店長に。」
かめ「すごい!でもなかなか大変そうですね。」
小沢さん「めちゃ大変でした。」
かめ「バイトを雇ったりとか、色々考えなきゃいけないじゃないですか。」
小沢さん「オーナーはいるんですけど、営業には全く関わってこないので……。社員はひとりいたんですよ。でもじっさいには僕が休みの日にしかそのひとは入らなくて、僕とバイトの子でお店を回してました。」
かめ「それは大変ですね。」
小沢さん「席数は五〇席くらいありました。」
かめ「なんと!」
小沢さん「何とかなってましたね(苦笑)料理も補助みたいなアルバイトの子がひとりは常にいたんですよ。その子がサラダを盛るとか、洗い物するとかね。料理は基本的に、僕ひとりでやっていました。」
かめ「えええ。普通に、手間のかかる料理とかも作るわけですよね。」
小沢さん「はい。パスタ、ピザ、お肉料理とか。手間がかかるっていうか、そんなに難しい凝った料理はなかったですが。」
かめ「でもそれはすごいですね。それで、料理は最初にバイトで入ったそのお店で教わったんですか。」
小沢さん「そうです。オーナーがイタリアで一年くらい修行して帰ってきて、出したお店でした。オーナーから最初は料理を教えてもらっていました。それですぐに作らせてもらうようになって。そこからは独学というか(笑)」
かめ「独学といっても、当時で学ぶっていったら何か別の料理屋さんに入るとかしないと学べなくないですか?いまだったらインターネットもあるけど。どういうふうにして学んでいったんですか。」
小沢さん「本ですね。」
かめ「なるほど。」
小沢さん「あとは色んなお店には行っていました。」
かめ「それは食べに?」
小沢さん「はい」
かめ「それはどのくらいの期間ですか。二店舗目出すまでとか?」
小沢さん「二店舗目を出すまではけっこうあって。一店舗目の四、五年後に二店舗目を出したんですよ。最初は行ったり来たりしていました、一店舗目と二店舗目を。途中からはずっと二店舗目に。二店舗目は、ワインは出していたんですけど、イタリアンがメインじゃなくて。なんでも出すカフェ的なお店でした。デザートとか、カフェメニューとかも多くて。」
かめ「じゃあ、どっちかというと夜よりもランチがメインのお店だったんですか?」
小沢さん「いや、昼はやってなかったんです。コンセプトは『ちゃんと作ってるファミレス』みたいな。けっこう気軽に、デザートを食べに来るだけでもいいよ、コーヒーだけでもいいよ、みたいな。夜中の三時までやっていました。」
かめ「それはファミレスというか……(笑)」
小沢さん「でもけっこう、夜中の三時までひとはいるんですよ。」
かめ「そんなに飲まなくてよくて食べなくてもいい気軽さでいいんだったらひとは入りますよね。」
小沢さん「他の飲食店さんが仕事終わりにとか。美容師の方とか。」
かめ「なるほど。」
小沢さん「そう、けっこう使ってくれていました。」
かめ「確かにそういうお店、あんまりなさそうですもんね。楽しそうではありますね。」
小沢さん「楽しかったです。忙しかったけど。」
かめ「それでもあるところで、辞めようかなと思ったってことですか。」
小沢さん「そこはけっこう若い子が来るお店で、僕もその時は三四歳ぐらい。それでもう少し若い子に店長を任せた方がいいんじゃないかな、と思いだして。でもけっきょく僕も、そのお店でずっとやれるわけじゃないって思っていたので、そろそろちょっと自分のお店を出したいなと思いはじめて。いろいろ考えていたところでコロナになって。辞めるタイミングを失って、みんなと相談して試行錯誤しながら、ランチやってみたり、テイクアウトやってみたり。なんとかもがいていたんですけど、けっきょく、大きい店で駅前だったのもあって家賃も高いし、閉めようかと。それでお店を閉めたので無職になって。まだお店がなくなるまえ、まだお店をやっているときにコロナの影響でぜんぜんお客さんが来なくなって暇になっちゃったから、やりたいことやろうと思って、自分で畑をやりはじめたんですよ。」
かめ「それは場所があったんですか。」
小沢さん「知り合いのひとが『そういうことだったら、ここ使っていいよ』って言ってくれて。一〇畳くらいなんですけど(笑)そこでいろいろ、野菜を自分で育てていって。そうして自分で育てた野菜をお店の料理に使ったり、楽しんでました。」
かめ「そういうことだったんですね。」
小沢さん「お店を閉めることになって、飲食店をやっていたころは忙しすぎて旅行とかぜんぜん行ってなくて。だから、ここぞとばかりに旅行に行き、瀬戸内海の島めぐりとか。それでそろそろ仕事しようって思ったときに、別にここじゃなくていいのかってなって。」
かめ「なるほど。」
小沢さん「ちょっと畑を趣味でやっていたこともあり、ちゃんと勉強しようと思って、農業を。別に農業を仕事にしたいとかじゃなくて、ちょっとただ、農業への興味だけで仕事を探していました。そのとき、そういえば南の島に行きたかったんだ、と思って。そしたら奄美大島で農業の仕事があるのを見つけたんです。それに応募したら、直前になって担当のひとから『徳之島に行ってください』と言われて。徳之島ってどこ状態。まあでも、行けって言われたから行くか、という流れで、鹿児島からフェリーで徳之島に。それで徳之島で二か月くらい、じゃがいもを掘っていました。」
かめ「じゃがいもなんですね。」
小沢さん「そう。徳之島はじゃがいもなんです。」
かめ「さとうきびとかじゃないんですね。」
小沢さん「さとうきびもあったんですけど、僕の仕事はじゃがいもだけで。それで蓋を開けてみたら僕のほかにベトナム人の八人しかいなくて、僕以外全員ベトナムの子たちと共同生活みたいな。面白かったです。ベトナムの子たち八人との共同生活。」
かめ「謎のベトナムPOPを聴いてたりしますしね。」
小沢さん「そうなんです。めちゃくちゃ元気なんですよ、ずっと。そこの職場はひとが思いの外集まらなかったらしく、本当は二〇人くらい集まる予定が、僕とベトナムの子を合わせて9人だった。だからほんらい二〇人くらいでやるはずの仕事を九人で回さないといけないっていうことで、朝八時から夜の一二時とかまで。」
かめ「めちゃくちゃたいへんですね。」
小沢さん「そう。それが休みなく、それが二〇日くらい続くんです。」
かめ「そこでは収穫をやるんですか。」
小沢さん「収穫して、それをJAの選果場に持っていって選別と箱詰めを。」
かめ「ずっと単純作業っていうか、けっこうきついですね。」
小沢さん「そうですね、けっこう後半はきつかったですね。それでじゃがいもの収穫の時期が終わると、そこからは、ほんとうになにも考えていなくて。なにも考えないまま、南に来たから、北かぁ、北に行くか、ぐらいの感じで仕事を探していたら、いま僕が働いているイナゾーファームで募集していたから応募したら、すぐに採用してくれたんです。それで徳之島からすぐ、士別の方に。」
かめ「いつですか。」
小沢さん「去年ですね。二〇二二年。ここに来て、まだ僕は一年なので。」
かめ「二〇二二年のはじめとか?」
小沢さん「五月ですね。四月の終わりからここに来て、ちょうど一年です。」
かめ「それでいまはトマトを作っている。」
小沢さん「そうですね。」
かめ「来てみてどうですか。士別での生活とか北海道の農業とか。」
小沢さん「ひとに恵まれたなあ、とつねづね思うんです。イナゾーファームさんに働いている方たちが、ご夫婦もそうだし、みんないいひとで。イナゾーファームの谷さんご夫婦からもいろいろと気にかけていただき、アドバイスとかもいろいろ言ってくれたりとか。士別に来てちょっと経ったころに、ここ(※エストアール)で、士別でクラフトビールを作っているひとの新しいビールのお披露目会みたいなイベントがあると知って、ひとりで来たんですよ、ぜんぜん知り合いもいないときに。そうしたら士別の道の駅で働いているDJのひとが話しかけてくれて、そこでいろいろなひとを紹介してくれてつながりができていったんです。だから最初から知り合いがめちゃくちゃできたんですよ。」
かめ「やっぱり心強いですよね、そうやって、何かしてくれるひとがみつかると。じゃあイナゾーファームで働きつつ、ちょっとずつ人脈を増やしていってみたいな感じで、その流れで、ここ(※エストアール)でもランチをやることになったんですか。」
小沢さん「もともと二〇二二年いっぱいで地元に帰る予定で。イナゾーファームの仕事じたいもシーズンが終わる一一月いっぱいくらいで終わる感じだったんです。そのあとは愛知で知り合いのシェフとジビエのお店を出すみたいな計画があって。でも僕が地元へ帰ったあとに一緒にやるみたいな計画だったのがなくなって。どうしようかなってなったときに、もう、ほんとうによくしてくれるひとたちがいっぱいいて、なまじっか友達もいろいろできちゃったから、なんかちょっと帰りづらくなってるときだったんですね。」
かめ「帰りづらいっていうの、なんかいいですね(笑)」
小沢さん「(笑)なんか心惜しいというか。なんて思っているときに、ちょうど石川夫妻から『ランチやりませんか』っていうお誘いがあって。そこからは早かったです。一二月からもうそれが始まる感じ。それでイナゾーファームのご夫婦も『いてくれるんだったら仕事はいくらでもあるから』と。トマトジュースの加工とかやってくれたら、と言ってくれたので仕事はありました。」
かめ「軌道に乗っているというか、安定感が生まれたんですかね。士別にはDJをやってたりとか、けっこう面白い活動をしているひとたちがいるんですね。」
小沢さん「いますね。」
かめ「そういうひとたちとはちょくちょくやりとりはしている?」
小沢さん「はい。ここ(※エストアール)にけっこう来てくれてたり。一緒にイベントとかやったり、札幌のBIG FUNっていうイベントに一緒に行ったり。面白いです。その道の駅で働きながらDJをしているひともけっこう士別のこととかいろいろ考えているひとなので。」
かめ「士別だとどこでDJをやるんですか。」
小沢さん「ここ(※エストアール)でもできますし、機材があれば。あとは、バーみたいなところを借りてとか。」
かめ「そうなんですね。今回のイベントでエゾシカ肉を使ってくれるし、西興部の新人ハンターセミナーにも参加していましたよね。ジビエの方にもやっぱり興味がある?」
小沢さん「そうなんです。最初は、ここでもうちょっと勉強できることがいっぱいあるなと思って。だから、それもここに残りたいと思った理由のひとつなんですよね。」
かめ「西興部ね、そこらへんはいい土地っていうか、なかなかああいう整っている場所ってないみたいで。僕も昨日クマ肉をもらいましたけど、全然臭くなくて、やっぱりすごいなあと思って。美味しかったですね。」
小沢さん「クマ肉いいっすよね。でもクマ肉って、シカの猟と違ってクマを獲りに行こうと思って獲れるものじゃないじゃないですか。」
かめ「そうみたいですね。今後はハンターになるつもりもあるんですか。」
小沢さん「 ずっとあって、このまえ二月に試験があったんですけど、それに落ちて。」
かめ「ああ、そうなんですね。けっこう、難しいんだ。」
小沢さん「いや、ちがうんですよ。講習を受ければ九五%受かる試験に俺落ちたんですよ(笑)」
かめ「そういうこともありますよね。」
小沢さん「筆記は完璧だったんですけど。銃の取り扱いのテスト、解体してください、組み立ててください、とか。それがもう、緊張しいなんでめちゃくちゃテンパって、ミスしまくって。」
かめ「二回目はきっと大丈夫でしょう。」
小沢さん「またこんど試験があるので、そこで取らなきゃなあと。」
かめ「楽しみです。北海道の地場のものを使いながら、それを料理にしていくみたいなところも。」
小沢さん「ゆくゆく、そういうのができたらなとは思っています。でもやっぱり、自分でシカ肉を獲って自分で解体して自分のお店で出すっていうのは、ちょっといろいろ難しい……。」
かめ「保健所的な?」
小沢さん「保健所的なのもあるし。そのへんもちょっと、いろんなひとに話を聞きたいですね。」
かめ「西興部でやるしかないですね。」
小沢さん「ははは。最初はその、ちゃんとハンターさんが獲ってくれて解体したやつをお店に。シカ肉とか、せっかく北海道で飲食店をやってるんだったら使いたいですもんね。」
かめ「ここで出したことはあるんですか。」
小沢さん「ないですね。」
かめ「そうなんですね。メニューとかはけっこう変えてるんですか。」
小沢さん「変えてますね。いままでは月一回、変えてたり。パスタを一種類変えたり、カレーを変えたり。で、いまは別に月一回とかじゃなくて、そのときに手に入った野菜とか食材でメニューを決めちゃうこととかを考えています。そういうのが臨機応変にできるのは楽しいですね。」
かめ「そうなんですね。なんか北海道は、野菜とかは集めにくいなって、僕ちょっと思ったりするんですよね。やっぱり収穫っていうか、種蒔く時期も遅いし、収穫時期もすごい限られているじゃないですか。だから、ちょっと野菜とかは、夏場はすごいいっぱい採れるけど、そうじゃない時期はちょっときついかもなあとかって。消費者としてはけっこう感じてます。あと魚とかもじつはけっこう少ないなと思っていて。」
小沢さん「そう、魚。スーパーに行くと魚が少ないって思いますよね。」
かめ「ホタルイカ売ってねえじゃん、って。」
小沢さん「そう、ホタルイカ売ってないんですよね。」
かめ「(笑)そういうのじつは北海道はあるなあと思って。もちろんいいところもあるんだけど、本州だとスーパー行けば見つかるものが無かったりするから。」
小沢さん「あと、ちょっと高いです。」
かめ「そうかもしれないですね。まあ、釣りとかもやれば……。」
小沢さん「釣りもやりたいですね。」
かめ「山菜とかもありますよね。僕は採りに行かないけど貰うのとかはよくあります。アイヌネギとかはいつも貰う。」
小沢さん「僕はもう、全部やりたいですね。釣りも山菜も、野菜も育てて。大豆育てたら味噌作ってみたいな。」
かめ「山菜採り名人みたいなひとはいますか。」
小沢さん「名人というよりは、イナゾーファームで一緒に働いているおじいちゃんとかはけっこう行くらしくて。」
かめ「いいですね、そういうひとがいると」
小沢さん「一回一緒に行きたいんですよね。でもなにせ暇がない。」
かめ「ああ、なるほど。じゃあ、なんだかんだけっこう忙しくしているんですね。」
小沢さん「はい。忙しいというか、二月くらいから休みはなくやらせてもらっています。」
かめ「平日は農家の方で、土日はここをやってっていう。夜も忙しいんですか。」
小沢さん「平日の夜は空いているんですけど、金曜日と土曜日の夜だけディナー営業も始まったので。」
かめ「けっこういろいろ始まってきてますね。」
小沢さん「始まってきてます。」
かめ「でも、ここの場所でランチがしっかりできて、ディナーもいけそうだっていう流れになっていて、それはとてもいい流れにみえますね。」
小沢さん「はい。」
かめ「士別って、まちをつくっていこうみたいな動きはけっこうあるんですか。」
小沢さん「士別じたいにあんまりそういうひとがいないなあって僕はちょっと思っています。若いひとでちゃんと面白いことをやろうとか、士別をこうしていこうとかいうひとが。たぶんいるんですけど……。でも、もっと若いひとが面白いことをやればいいなあとは僕も思っています。」
かめ「大きめの町や市だと、自分たちのやっていることと、まちとしての動向みたいなのがちょっとずれるというか、重ねる必要性がなくなってくるのかなあと思っていて。西興部村みたいに小さいと、自分のやることとけっこう重なってくるので、必然的に地域づくりだったりまちづくりになるんです。士別とかだと、それを考える必要がなかったり考える余裕がなかったりすると思うから、まちづくりみたいにみんなでまちを盛りあげようみたいにはならないのかなって気がします。」
小沢さん「それがいちばんいいですよね。やりたいことをやって、それが村とか町のためになれば。」
かめ「小さいところでやる面白さはそういうところかな、と思っているんですけど。大きめのまちはまちで、違う楽しさがあるだろうけど。」
小沢さん「士別はちょっとなにかやろうとすると、行政が絡んできますね。」
かめ「行政がなにか言ってくるんですか。」
小沢さん「若いひとでもっとこうしていったほうがいいんじゃないかと言っているひとたちは、けっこういるんですよ。でもなんかやっぱり難しいらしいです。あんまり僕も、この士別に来て一年なので偉そうには。知らない部分もいっぱいあるので。」
かめ「それはぜったいに難しいんだろうなと思うんですよね。」
小沢さん「だから、ただここで勝手に面白いことをやっていれば、おのずとひとが集まってきて、それがまあいいふうになれば、と僕は思うんです。」
かめ「それがいいのかなと思いますね。」
小沢さん「もっと、ここが面白いことをやっている、というイメージが付けばいいなあと。」
かめ「それがいいなあと思います。けっきょく、このひとが来るから来てください、ではなくて、エストアールで何かやる!なら行こうってなるのがいちばんいいなあ。あのひとたちがやろうとしている企画だったりイベントだったら、ぜんぜん知らないジャンルだけど行ってみようかなってなるのがいちばんいいですよね。」
小沢さん「それで、そこに来たお客さんどうしで仲良くなってくれたりすればいいなと思っています。」
かめ「たしかに。そういうことってたとえば豊橋で飲食をやっていたときから考えていたんですか。それこそさっき言ったように、若いひとたちが夜中に仕事終わりで集まって、そこで出会いがあったりとか、そういうなかでいいなあと思うようになったことなんですかね。」
小沢さん「そうですね。僕はべつに、もっとこういう店にしたいっていう思いよりもさきに、そういう店になっちゃってた、しぜんに。しぜんに、ここに行けば誰かがいるからっていうお店になっていったので、それはよかったなと。」
かめ「大人のたまり場みたいな。」
小沢さん「そうですね。だから、そういうお店があればなとは。ひとりでも、誰かしらいるから行ってみようかなとか。」
かめ「すごくいいですよね。ここだったらそのまま泊まれるし。フェスとかは行ったことあるんですか。」
小沢さん「僕はもう、ずっと行ってましたね。二〇代前半くらいかな、もっと前か。初めて行ったフェスがフジでした。」
かめ「おお、それいつですか。」
小沢さん「一九のときです。二〇〇四年か。ケミカルブラザーズと清志郎とか。」
かめ「僕が初めてフジロックに行ったのは二〇一二年でしたね。三回くらい行って、もういいかなって。」
小沢さん「そうなんですね。二〇〇四年くらいってまだ、ほんとうに盛りあがってくる途中くらいの時期で。まだフェスっていうのが、そんなに認知されていなかった。いまは誰でも行けるじゃないですか。当時、フェスに来るお客さんって、なんの仕事してるんだろうなみたいな、怪しいひとがけっこう多くて。女の子は全員かわいいんですよね。なんか、かわいく見える。いまはもう家族連れも多いし。だって、このまえの札幌のBIG FUN、EYEとか卓球とか、ゴリゴリのクラブイベントだったのに、けっこう子ども連れとかいて、すごいなって。」
かめ「フジロックは愛知から行ってたんですか。」
小沢さん「車で。」
かめ「ああ、車で。僕は東京から新幹線で行ってたんですよね。越後湯沢で降りてバスとか出るから、それで行ってましたね。」
小沢さん「荷物が大変ですね。テントとか。」
かめ「バックパックほどじゃないけど、テントとか担いで行ってました。」
小沢さん「テントも行ったときにぜんぜん空いてなくて、すごい斜めの場所にテントを張らんといかんくなったんですよね。すごい寝づらいし、雨降るし。」
かめ「ああ。雨ね。」
小沢さん「ぜったいに夜、雨降るんです(笑)」
かめ「他もなにか行きました?」
小沢さん「フジロック以外にもけっこう。ひとりでも、各地のフェスには行きました。」
かめ「良かったフェスとかありました?」
小沢さん「メタモルフォーゼっていう、伊豆でやってた、フェスというより野外のクラブフェス。大御所のDJとか世界で有名なDJが来るフェスだったんですけど、バンドとかも来ていて。ゆら帝とか Boom Boom Satellitesとか ROVOとか。めちゃくちゃ面白かったです。」
かめ「いいですね。」
小沢さん「夜通しだったんで、朝までやってました。そこらへんに寝ているひととかもいて。そういうのが良かったですね。」
かめ「今回どうしようかなと思って。いちおう市街地から離れているので、音出しててもいいかなと思ですけど。さすがに朝までやるわけにはいかないかなあ。朝まで盆踊りはちょっときついな。」
小沢さん「ま、なんかひとがまだぜんぜんいたらずっとやりたいですし。みんなもうトランス状態で(笑)」
かめ「そう。いぐち式の渡邉さんとも、トランスまでもっていけるかが勝負ですねっていってて。」
小沢さん「最高です。」
かめ「西興部でそんな祭をやってどうなっちゃうんだろうと。ぜんぜんみんな慣れてないじゃないですか。でも面白いなそういうのはと思って。」
小沢さん「だんだんBPM速めにして。」
かめ「そうそうそう。いやぁ、こうやって音楽に思い入れのある小沢さんに参加していただけて今回はほんとうによかったです。」
小沢さん「最初はもう、南家(※西興部の酪農家。さまざまなひとを受け入れたりイベントを自主的に開催したりして多くのひとが集まる)のお陰です。そこでいろいろ知り合えたので。あそこに行けば誰かしらと知り合える。」
かめ「じつは南さんも人選があるんですよね、たぶん。ちゃんとひとを選んで呼んでいたりするから。これをやるんならこのひとだろうな、みたいなのがあって集めているんですよね、きっと。今回のインタビューもそういう考えと近いところがあって。ただ当日だけ盛りあがるっていうのは、僕はやりたくないなと思うんですよね。ミュージシャンとかもほんとうにそうで、けっきょくお金を払えばミュージシャンって来るんで。ブッキングすごいねって言っていただけることもありますけど、そんなんメール打って『ギャラいくらです、交通費出します』とか言えば、ぜんぜんふつうに来るので。ぜんぜんなにもすごくなくて。だけどそうじゃなくて。そのひとのライブに行って、そのあと一緒に飲んでとか、インタビューしてどういう考えを持ってるのかとか聞いたりとかして、すこしずつ雰囲気を作っていくのが大事だなと思っています。それを料理を作っていただくひとにも同じことをしたいっていうそれだけなんですよね。では、そんなところで、いったん終わりにしますかね。今日はどうもありがとうございました。」
小沢さん「はい、こちらこそどうもありがとうございました。」