出会いうるものたちのさけび

GOK SOUND 近藤祥昭

  
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GOK SOUND 近藤祥昭

かめ「今更なんですけど、近藤さんの経歴ちゃんと聞いておきたいなと思って。」

近藤さん「あー、経歴。どういえばいいのかね。そうね、71年、ピンクフロイドが『Meddle』っていうアルバムを発売したと。それが、それがやっぱりもう衝撃で、これをやる!って考えてね。で、単純にその音楽、LPレコードっていうんじゃなくって、その、ジャケットからの何からふくめてトータルで、あの有名なヒプノシスとかが作ってて、そこがすごく惹かれたんだよ。で、これを実現してるエンジニアってのが演奏者と同じくらい重要なんじゃないかと勝手に想像したんだな、15歳の福島県にいた中学生は。」

かめ「お~」

近藤さん「それでじゃあそのエンジニアリングでロックに参加するっていうふうに思ったのが、71年なんだよ。」

かめ「うん」

近藤さん「で、中3でしょ?で、高校3年間はもうふつふつと、いわゆる授業なんかはほったらかして、ロックをやるにはどうするかって、楽器はまぁ、ちょっとドラムやったりはしたけどもそれでやるっていうんじゃなくて、あくまでもコンソールで参加するっていうふうに思ってたわけ。それでそのふつふつとした高校3年間を過ごした。受験校なんだけど、進学校で。」

かめ「そうですよね。福島高校ってけっこう優秀なところですよね。」

近藤さん「で、まぁえっと、2つ先輩に後のBOØWYのドラムになる高橋まことさんとかいたわけだ。高橋まことさんは私が1年の時の3年生で、実は2年浪人してるから、まことさんは。歳が上なんだよ。で、目の前でLED ZEPPELINの演奏をしてる応援団長がいたんだよ、それが高橋まこと。で、これできるんだ!と思って。」

かめ「へぇ~」

近藤さん「うん。ついこないだまで中学生だった人間にはさ、そのLED ZEPPELINとかの演奏ができるんだ!っていうことが、すごく、すごく不思議っていうか、すごく見えた。」

かめ「じゃあドラムだけじゃなくてみんなレベルが高かったってことですか?」

近藤さん「そうそうそう。はじめてロックバンド、まぁアマチュアだったけども、を目の前で見たわけだ。だから、ピンクフロイドとかLED ZEPPELINを知るのはレコードのうえでなんだけども、目の前で自分に年の近い人がそれを演奏してるのを見るのは、それがはじめてだった。」

かめ「なるほど」

近藤さん「それが高校1年の時ね。で、卒業したらPAやらなんやらをやるぞって決めてたから。で、高校3年の冬休みぐらいかな、『無線と実験』っていうオーディオ雑誌があるんだよ。今でもまだ残ってるんだけど。それに当時のヒビノ音響のオリジナルコンソールを作った人がその回路図を公開してたの、その『無線と実験』っていう本の中で。で、『あっ!これならつくれる!』って思って(笑)」

かめ「へぇ~」

近藤さん「そう、思ったんだよ。ただ、そのまんまじゃ自分のやりたいことにはならないから。パンポットっていうのはLRだから、そうじゃなくてジョイスティックでこう…(人差し指をもう片方の手でぐるぐる)。クアドラフォニックね。まぁピンクフロイドを志したわけだから、それができるコンソールを作ろうと。で、高校出たら上京してPA屋さんは始めようと思ってた。高校の授業なんかそっちのけで、ずっとその机の上でノートにいろいろ書いてたり、計算してたりしてた。」

かめ「すごい」

近藤さん「で、75年に上京してきて、4畳半のアパートの押し入れを使ってオリジナルコンソールを作り……。まぁ、とにかくお金なんてないから。大学に行く学費のかわりにその、それを開業するお金を出してくれることになったんだ、親が。母子家庭だったのにね。それで、なんでも手作りすれば1/3でできるわけ。で、そのオリジナルのミキサーをつくる予算は30万円だったんだ、当時で。」

かめ「ほぉ~」

近藤さん「それで、まだヤマハとかもコンソールとか発売してなかった。パワーアンプも、楽器アンプメーカーのELKさんていう会社があったのね、当時。で、そこの会社に電話したら、ベースアンプのパワーアンプ部分の回路図をコピーして、コピーって言っても当時だから青写真っていう、それで差し上げますよって、なんと福島に送ってくれたの。」

かめ「へぇ~」

近藤さん「で、それも見たら作れるじゃん、って。その時に作りゃいいんだと思って。秋葉原で部品を買って、パワーアンプも作って、で、スピーカーは中学校3年の頃から手作りいろいろしてたから、それもその秋葉原で。その当時のことを取材してくれてた『Player』って雑誌があるんだけど、手元になくなっちゃったんだけど、それ見るとね、ほんとそれがのっかってる。取材されて。」

かめ「近藤少年がってことですか?」

近藤さん「そうそうそう。だからPAの機材を手作りしてPAを始めた人たちがいるっていうんで紹介されたんだよ。」

かめ「はぁ~」

近藤さん「だから、経歴としては、どっかのPA屋さんに所属するとかっていうことは一切なくて、最初っからその、買えないもの、無い物はつくるでコツコツやって、開業、開業っていうかまぁ始めたんだよ。だから、ちり紙交換のバイトやりながら、PA車でね。幌がけのトラックでちり紙交換の、くず拾いのバイトをしながら、時々だれか知り合った人に頼まれるコンサートのPAとかっていってはじめてったわけ。」

かめ「なるほど」

近藤さん「で、『Player』誌を紹介してくれたのもその自主コンサートやったアマチュアバンドの人がたまたま編集者に知り合いがいて、こんな人たちがいるからって取材してもらったり。あと、お茶の水楽器のメンバー募集の張り紙欄があるんだよ、当時。ベース求む、ギター求むって書いてあって。で、上京してきたときにその中の1枚だけ妙に気になって、電話番号を控えてきた人たちがいたの。」

かめ「へぇ~」

近藤さん「そのバンドの人に、あの福島から上京してきてこうやってPAを始めたんですけど、ご用命ありませんかってことで、じゃあリハーサルスタジオに行って練習してるから来てみてくれる?っていって、行きますって行ったわけだ。で、それで東京のバンドってのが有料のリハーサルスタジオで練習してるってことも初めて知ったわけ。」

かめ「なるほど。」

近藤さん「福島はそんなアマチュアのバンド向けのリハーサルスタジオなんてないから、たいがいは実家のある人の家に集まってとかそんなもんだったから。そうやってリハスタってのがあってそこで練習できるっていうのも、まぁショックだったよね、福島から出てきた方としては。」

かめ「ふ~ん」

近藤さん「そのバンドの人が日大芸術学部の学生だったんだよ。」

かめ「うんうん。」

近藤さん「それで大学祭の話を紹介してくれて。だからジュノンサウンドって名前でPAを始めることにしたんだけど、その名前も日芸に打ち合わせに行く途中で考えついたんだけど。」

かめ「へぇ~、ジュノン。」

近藤さん「うん。日大の芸術学部、今でも江古田にあるんだけど、そこのパイプオルガンがある講堂があったんだよ。そこでやるコンサートの仕事が、PA屋さんとしての正式デビュー。」

かめ「なるほど」

近藤さん「当時はね、鈴木茂とハックルバックとか、ゴダイゴの前身バンドとかが出てたよ。75年の11月。」

かめ「へぇ~」

近藤さん「だからその頃はもう、万博とか外タレブームがあって、ヒビノさんってのがもう一躍そのPAのレンタルとかを始めてて発展してたわけだ。で、加藤和彦さんがロンドンから帰ってきて、日本にも本格的なPAが絶対必要だっていってつくった会社がギンガムとか。あと昔からホールの音響とかやってた音研さんとか。で、そこで4畳半ひと間から出発したのが、わたし。それが、経歴。だから、どこにも所属したことは一切なくて。」

かめ「はいはい。」

近藤さん「そうやって福島から上京してきて、何のつてもないところで、バンドのメンバー募集してるところでPA募集してくれませんか?みたいなかたちでいったわけだ。そしたらまぁたまたま日大芸術学部とかってことになって。で、そうこうしてるうちに近所の楽器店にチラシを張ったの。PAはじめましたっていう。そしてそれの紹介でアマチュアバンドの自主コンサート、今より全然頻度も少ないし大変だったんだよ、で、それをやった人がいて、その人がまだ当時高校生だったんだけど、高校卒業したらアメリカに、高校出て1年間旅をしたわけ。あちこち。」

かめ「へぇ~」

近藤さん「で、その時の模様を「アメリカ見聞録」って題して、『Player』誌に連載したんだよ、1年。その彼がたまたま私たちのことを覚えていてくれて、こういうおもしろい人たちがいるっていって『Player』誌に載っけてくれて、そっからだね、だんだんちょぼちょぼ入ってきたのは。」

かめ「へぇ~。え、おもしろいひと“たち”がいるってことは、近藤さんひとりだけじゃなかったってことですか?」

近藤さん「もうひとり、おのたけひこって、亡くなっちゃったんだけど、とふたりでやってたから。そのおのたけひこってのは福島出身で、おれが高校生のときに付き合ってた彼女の同級生。」

かめ「あ、そうですか(笑)」

近藤さん「で、東京に行くんだったら、そのたけひこってのがいるからって紹介されて。で、彼は彼でアマチュアバンドをやってた、バンドっていうかデュオね。で、当時、テープで録音してオーバーダビングしてデモテープを作るなんてのはたいへんなことだったんだけど、それを自宅でやってのけてたんだよ。で、そのおのたけひことふたりでやってこうってことになって、日芸の話が来た。で、そういえば名前がないねって。打ち合わせに行く電車のなかで考えて、それがジュノンサウンドって名前。」

かめ「そのジュノンはどこから来たんですか?」

近藤さん「ジュノンは祥昭の祥をJOSでJね。おののONOで、JUNON。あの女性雑誌のJUNONとおんなじなんだけど。」

かめ「なるほど。じゃあまずはPAから始めたっていうこと。」

近藤さん「そうそうそう。」

かめ「レコーディングはいつから?」

近藤さん「レコーディングはね、JUNONをほぼ3年やって、国分寺に引っ越したんだ、川崎市から。」

……

まだまだ続く近藤さんのインタビューは当日配布の冊子にて!

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