ギタリスト 渡邉英一
かめ「経歴をお聞かせください!」
渡邉さん「経歴っていうほどの経歴はないんですけど。」
かめ「いやいやいやいや。」
渡邉さん「どのへんから話せばいいんだろう。」
かめ「じゃあもうふつうに出身とかからいきますか。」
渡邉さん「出身は東京の葛飾っていうとこなんすけど、ガサツな街です。」
かめ「(笑)」
渡邉さん「楽器を手にしたのは高校に入ってからですかね。当時はふつうに、ふつうにっていうか、最初は友だちから誘われて、イーグルスとかね、ふつうにそんなところから、無難なところから入ったんですけど。」
かめ「はい。」
渡邉さん「僕の学校は、僕の時代でエレキギターが不可ってのはなかなかなかったんですけど、僕の学校はたまたまそうで、まぁしょうがないから外のひとと一緒にやったりしてるうちに、高校のときに大学生のひとたちのバンドに混ぜてもらったりとかしてて。」
かめ「へぇ~。」
渡邉さん「世界が広がって。まぁそのときにジャズを、その当時はやらされてる感があったんですけど。」
かめ「なるほど。」
渡邉さん「好きになれないけどまぁギター弾いてんの楽しいからいいやって感じでしたかね。」
かめ「そうだったんですね。」
渡邉さん「そのときにいた大学生のひとがジャズ界隈とか、あとはスタジオ系のお仕事をするようになったりして、そのひとにちょっとだけ引っ張ってもらって少し世界が広がったりとか。そのひと経由で、のちに僕のギターの先生になるひとを、直接紹介してもらったわけじゃないんですけど、こういうひとがいるよって。」
かめ「ふむふむ。」
渡邉さん「僕のギターの先生のお師匠さんが、高柳さんってひとだったんですよ。」
かめ「なるほど。」
渡邉さん「そんな感じですね、はじまりはね。」
かめ「どういうジャズを最初はやってたんですか?」
渡邉さん「最初はほんとにスタンダードをやらされてたって感じですね。聞いたことないし、聞いてもピンとこないし。それよりフュージョンとかの方がわかりやすかったですね。」
かめ「あ~。その当時フュージョンっていったら…」
渡邉さん「その当時だとね、僕の世代だと、え~っと、高中正義さんとかカシオペアとかスクェアとか、まだT-SQUAREになる前のスクェア。」
かめ「そうですよね。はいはいはい。」
渡邉さん「僕よりちょっと上の世代だとPARACHUTEとかね、なんでしょうけど。僕はそんな感じだったのかな。」
かめ「けっこう技術寄りな感じだったんですか?」
渡邉さん「いま思えばそうかもしんないですね。音楽っていうよりは、ただギターを弾きたかっただけなんですね、きっとね。子どものときとかは。」
かめ「じゃあもうそこらへんでひととおり速弾きとか……?」
渡邉さん「速弾きギタリストも昔いましたね。昔、いまでもいますけど、アル・ディ・メオラっていうひとがいて、そのひとはまぁ、その当時は速弾きギタリストの部類に入るひとでしたけど、ギター小僧には、恰好の、なんつうんですか、おかずなので(笑)」
かめ「はいはい。」
渡邉さん「ただそれだけでね。」
かめ「そうやって音楽やってるうちに師匠になるひとと出会うっていうことは、それまでは何があったんでしょう?」
渡邉さん「それまでのあいだは、いろんなバンドでいろんなひととやってるうちに、いろんなひとのすきな音楽を聴かせてもらったりとか、そのひとのスタイルとか、いろんなのを、別に学ぼうとかそういうのはなんもないんですけど、目にして耳にしてるうちに、なんとなく変わってきたんじゃないですかね、きっと。」
かめ「なるほど。師匠につくっていうのは、どういう経緯で?」
渡邉さん「僕が高校のときに一緒にやってた大学生のひとに、『ちゃんとやるんだったらちゃんと習った方がいいんじゃない?』って言われて、で、まぁ、そういうもんかなぁって(笑)そうそう、なんにもあんまり、いまでもそうですけど、当時はさらに何も考えてなかったので、じゃあまぁ行ってみようかっつって行きはじめたのがたぶん最初ですかね。行ったら行ったで、その同門のひとたちがいっぱいいるので、同世代だからまぁまぁまた楽しいわけですよね、世界がひろがって。」
かめ「うんうん。」
渡邉さん「だからいまでもその同じ世代だったその同門のひとたちで、ライブとか演奏続けてるひとはそこそこいます。」
かめ「何を教えてくれて、どういうコミュニティだったんですか?」
渡邉さん「え~っとねぇ、そこはあれですね、ギターっていう楽器をちゃんと鳴らすってことに特化してて、あとはもう自分でやんなさいって感じですね。」
かめ「ちょっとピンと来ないです……(笑)」
渡邉さん「聞けば全然教えてくれたんでしょうけど。たとえば野球でもサッカーでもいいんですけど、ボールの打ち方蹴り方をこうやると、ちゃんとした芯に当たるよとか、そういうことですね。だけど、相手がこう来たらこうとか、場面がこうのときにこうだよっていうことは、一切ないですね。そこは自分で考えなきゃいけないって感じなんでしょうね、きっと。」
かめ「じゃあクラシックギターで?」」
渡邉さん「レッスンはクラシックギターでずっとやってましたね。」
かめ「へぇ~。」
渡邉さん「そうそうそう、だから教材になるのも、クラシックから抜粋したものを、まぁそもそも高柳さんが組み立てたものを、僕の先生の廣木光一さんってひとが受け継いでというか、廣木さんはそれをもとにしてやっていて、そこに僕らがレッスンに行ってたんですね。」
かめ「じゃああんまり高柳さんのいわゆるフリージャズ方面のところはそんなに受け継いでるわけではなかったという……?」
渡邉さん「そうですね、まぁ録音物とかは聴いてましたし、僕はたまたままだ高柳さんが生きてらっしゃるときに……あ、そうそう高柳さんに習おうとしてたんだ俺!そうだ!高柳さんがちょっと病気されてて、教えられる状態じゃないっていうんで、それで廣木さんのとこに行ったんです。あーそうだそうだ。」
かめ「なるほど。」
渡邉さん「だけど、のちのち高柳さんの体調がだんだん良くなって、どっかでジャズ史をやるっていう、まぁ座学ですよね、まぁもとから習いに行こうと思ってたから、どんなもんかなと思って、そこに2年くらい行ってたのかな。」
かめ「へぇ~。」
渡邉さん「そこに最初はね、いっぱいひとがいたんだけど、どんどんね、そのひとの個々人の意思でだんだん来なくなったりっていうのもあって、まぁ俺はあんまり何にも考えてなかったから最後までいたんですけど。」
かめ「そうだったんですね。」
渡邉さん「そんときに、いちおうジャズ史なのでテキストがあるんですけどね、昔のひとの本があって、それをテキストにして、でこういうこの音楽は聴いといた方がいいよとか、あとこの話はどうだろうねとかね、本に書いてあるエピソードのこれはどうだろうねとか、その当時は二十歳そこそこなんでね、『そっかふんふんへぇへぇ』なんて聞いてましたけど。だからいま自分はたぶんその当時の高柳さんの歳くらいだと思うんですよ。」
かめ「そうですか。」
渡邉さん「その当時の高柳さんの感じがいまにして思うと、いろいろ思うところもあっておもしろいなとは思いますけど。」
かめ「なるほど。」
渡邉さん「僕なんかが高柳さんのことなんか語っちゃいけないんですよね、直接習ったわけじゃないしね。」
かめ「まぁまぁまぁ。」
渡邉さん「ただ会ったことがあるくらいですよ、俺は。」
かめ「でもその座学をやってたっていうのは知らなかったですね。そういうひとだったんですね。」
渡邉さん「俺はまぁ最終的に最初から最後までいたので、他にも何人かいましたけど、2年ちょい行ってたんじゃないですかね。」
かめ「それが二十歳、二十代くらい?」
渡邉さん「そうですね、二十代前半ですね。」
かめ「へぇ~。」
渡邉さん「まぁいちおう一生懸命にだれそれを聴いた方がいい、これは聴いておいた方がいいって、それをひとつひとつ潰してったりね、まだ潰しきれてないのとか。まだノートありますけどね。」
かめ「へぇ~。」
渡邉さん「ノートとっただけで聴こうと思ってないから意味ないんだけど(笑)」
かめ「なるほど。まだ二十代前半なので、まだまだ先が長そうですね。」
渡邉さん「まぁでもだらだらやってただけなので、そんなたいした話はないですけど。」
かめ「いやいや。」
渡邉さん「う~んなんか……そうっすね、そういうのと同時に自分のバンドも作ってみたり、まぁ何も僕は正規の音楽教育は受けていないので、自分で失敗しながら、そう、恥をかきながら……いまんところこんな感じで、ここまでなんとなく来てますけど。忘れてることも多いですけど、たくさん恥ずかしい思いはしましたよ。いろいろ。」
かめ「へぇ~。それはライブでとかってことですか?」
渡邉さん「いや、あらゆることですよ。ライブでもそうだし、最初はねぇ、自分がギターだからギター・ベース・ドラムくらいでバンドやんのはメロディ書いてコード書いて渡してってやってるだけですけど、そのうちに、管楽器も入れてやりたいなとかって、それで、お!管楽器いいぞ!って、で、管楽器いっぱい入れてやりたいなっつって、じゃあそのためにはアレンジしなきゃいけないなってなって、読めない譜面をその管楽器のひとに持ってったりとか。」
かめ「読めない譜面(笑)」
渡邉さん「こんな音出ないよって言われたりとか(笑)」
かめ「管楽器は難しいですよね、楽譜。書き方が違いますもんね。」
渡邉さん「書き方も違うし、音域とかそもそも知らないで書いてましたからね(笑)めちゃくちゃですけど。でもそんなことしながら、そういうのを考えたりするのは好きなんですよね。一時期は7人編成くらいかな、ギター1人と管楽器4人入れたバンドをしばらくやってた時期があって、考えるのが好きだからアレンジの方にばっかり時間使って全然ギター弾けてなくて、これはまずいなっていって、いったんお休みというか、まぁなくなった感じですけどね。」
かめ「へぇ~。」
渡邉さん「でもいまでもそういうのを考えるのは好きなので、機会があればやったりも。だから今回のイベントも管楽器ひとりしかいないっすけど(笑)しかもチューバ。でもギターは3人もいるし、なのでいちおういろいろ考えてはいて。」
かめ「ギターをどんどん弾きたいっていうのと同時に、作曲とかアレンジするのも好きだったっていう?」
渡邉さん「そうですね、そうそう。若い頃にいろんなレコードを聴く中で、ギル・エヴァンスっていうオーケストラがいて、いまでも好きですけど、一時期は集中していろんなの聴いて、あと譜面買ったりとかね、輸入して買ったりとか。何もわからないんですけど、譜面みてるだけで『おぉ~っ!』って思っちゃって。」
かめ「なるほど。」
渡邉さん「そうそうそう。だからほんとにアレンジを仕事にしてるひとはある程度もう頭の中で全部鳴るから、ソラで書ける、楽器なくても書けるひとが多いんでしょうけど、もう僕はほんとにピアノが目の前にないと何にもわかんないから。で、ピアノを弾けるわけじゃないんですよ。音をこう押さえて『あ、この響きかな』っていうのを。」
かめ「はいはい。」
渡邉さん「ギターだとやっぱり限界ありますから。限界あるっていうか無理ですからね。」
かめ「そうですよね。」
渡邉さん「でも最初はそれでやってたんですよね。だから出ない音とか平気で書いてたんでしょうね。」
かめ「仕事としてはそういうアレンジの仕事とかもあったりしたんですか?」
渡邉さん「最近はやってないですけど昔はありましたね。某音楽教室にはいろんな教室があって、参加したいひとだけ参加してそれでビッグバンド作ろうって企画があって、それは洋楽器だけじゃなくて、僕はそれまで金管と木管しかやったことなかったですけど、弦が入ってヴァイオリン、チェロまでか、いわゆる弦楽の、あとはホルンがいたり琴がいたり三味線がいたり尺八がいたり……っていう、なんかへんな、もうめちゃくちゃですよね、めちゃくちゃな編成の……で、そう!そのときに、そうだ、ソーラン節作ったんだ。いま思い出した。そうだそうだ(笑)あ、一回やってるな、今回みたいなこと。」
かめ「へぇ~!」
渡邉さん「そうですね、それは自分で全部アレンジもして、譜面もいわゆる譜面書きソフトでコンピューターで作って。まぁそれはお仕事お仕事で、でしたけど、いちおう国際フォーラムでコンサートとかやったんですよね。そういえば。」
かめ「そうなんですね!」
渡邉さん「そうそう。まぁ楽しかったですけど。それはお琴の先生がいて、尺八の先生がいて、三味線の先生がいて、その生徒さんがいて、参加したいひとを募ってって感じでやったんですけど。」
かめ「ほ~。」
渡邉さん「お琴の先生とはそのあとしばらくライブとか、ただ飲みに行ったりとか、けっこう行き来あったんですけどね。」
かめ「じゃあ邦楽の方面にもけっこう人脈があるっていう感じなんですか?」
渡邉さん「いや、人脈はないです。たまたまそんときそういうひとたちと一緒に音楽やったっていうだけで、人脈っていうほどはないですけど。まぁでもなんかあったら声かけるぐらいはできると思うんですけど。」
かめ「うんうんうん。」
渡邉さん「あとそういう現代の音楽もできるようなひとだから、ふつうのドレミの譜面を持っていっても読んでくれるんですよね。」
かめ「なるほど。」
渡邉さん「邦楽の楽譜は作れないですから、あくまでもドレミの譜面で読んでもらってって感じでしたけどね。」
かめ「すると、なにか転機になった仕事とかってあるんでしょうか。それがきっかけでちょっと展開が変わったなぁみたいな。」
渡邉さん「転機になった仕事……。」
かめ「そうやって20代からギターを先生に習ってとか、座学やってとかって、だんだこう30代とかになってくると、一般的にいったら人生のフェーズが変わってきたりするじゃないですか。」
渡邉さん「(笑)いや、あんまりわかんないっすね、自分のそういうこと。あんまり変わってないような気もするし。外から見たらあそこじゃないのって言われれば、そうかなぁって思うかもしんないし。」
かめ「う~ん。」
渡邉さん「まぁアレンジが好きだったのはもとから好きでしたけど、別にそれで仕事なんて思ってもいないし、自分でバンド7人編成のバンド作って、自分で考えたことがじっさいに音になって『おぉ~いいねぇ!』とか、『あんまりおもしろくないね』とかを繰り返して……。あとあれですね、転機になる仕事じゃないけど、当時はカラオケの創成期だったんですね、世の中的には。」
かめ「はいはい。」
渡邉さん「そのころにカラオケ仕事にちょっとありついて。」
かめ「なるほど。」
渡邉さん「打ち込みやるのにそのもとの曲を全部コピーしなきゃいけないんですよね。譜面もないんで音だけもらって、それでなんとかもとの曲に近づけるっていう。」
かめ「へぇ~。」
渡邉さん「何年くらいやってたんだろう、まぁやってて、それもいまになって思えば訓練になったのかもしれないですね。」
かめ「なるほど~。」
渡邉さん「曲はそんなに好きじゃないんだけど『お!すごいなこのアレンジ』とかっていうのもあったり、あとは『あ~もうだめだ。この曲聴いてらんないからやりたくないです』って替えてもらったり。」
かめ「それは譜面に起こす仕事ですか?それとも打ち込みまでやる?」
渡邉さん「打ち込みをやる仕事です。だからそのときにmidiとかコンピューター関係の打ち込みに関することだけはずいぶん勉強になったんでしょうね、いまにして思えば。」
かめ「へぇ~。」
渡邉さん「いまでもデモなんか作るのはべつにそんな大変でもないし、なんだったらちょっとこう音源つくるときにそういうの使ってみたりもしますけど。」
かめ「へぇ~。」
渡邉さん「でもやっぱり生をシミュレーションするんだったら、ひとを呼んできた方が絶対いいなって思うんですけどね。」
かめ「早いってことですか?」
渡邉さん「早いもそうだし、生のニュアンスをコピーして打ち込みで打つっていう場合には、あるていど技術がいるんでしょうけど、自分の作品を作るんだったら、そこにかける時間とそれをやる意味がわかんないから。だからひとではできないとか、あえてその機械を使ってっていうんだったら、使う意味があると思うんですけど、別にそれが万能とも思えないし、人間のやってるようなことを打ち込みで再現するのはなかなか手間がかかるっていうのが、そのカラオケを作っててわかったので。」
かめ「なるほど~。」
渡邉さん「だから使いどころですよね、きっとね。たとえば、背景くらいだったら打ち込みでなんとかなるっていうんだったら、じゃあその横にじっさいにひとを呼んでとかね、ありかもしんないけど。でも、楽器一切できなくてもそれだけで音楽つくるひとももうずいぶんまえからいるので、まぁそれでできあがったものが誰かの耳に届いて『いいね』って思うひとがいればそれはそれでいいですよね、たぶんね。」
かめ「それをやってたのは90年代とかですか?」
渡邉さん「そうですね、90年代初めの方からですね。」
かめ「バブルが終わったくらい?」
渡邉さん「終わったのかなぁ。でも全然バブルなんて関係なかったですけどね。」
かめ「そうなんですか?」
渡邉さん「そう、いまでこそコンピューター触ってても中身のこととかあんまり意識しないじゃないですか、そのシステム自体を。でも僕らの頃の最初に使ったコンピューターってNECの98シリーズ、MS-DOSってやつ、あれでカラオケを作ってたから、なかにディレクトリとか階層があるんだっていうのはいまは画面に現れてなくても、なんとなく僕らの世代のひとは知ってるひとは多いですよね。」
かめ「はいはいはい。」
渡邉さん「だからもともとこういう作りなんだっていうのがなんとなくわかってると、いま画面に出てくる見えてるところは、そこまでは見えてないんだけど、その後ろにこういうのがあんだなっていうのがなんとなくわかるし、たぶんどこのフィールドでも似たような話なんだろうな、構造は似てるんだろうなぁって、思うんですよね。いま後ろで噴水がジャバジャバなってますけど、あの噴水見て『あ~きれいだな。涼しげだな』って、でもそれを動かしてるシステムとかね、まぁあたりまえだけどあって。コンピューターでもそうだし、どのフィールドでも同じような構造なのではないかなぁと、ちょっと思ったりもするんですけどね。」
かめ「じゃあそういう意味で音楽でいうと、たとえば作曲理論とか和音の理論とか、そういうものは学んだりとかっていうのはあんまりしてないで?」
渡邉さん「いやいや、それは独学でいちおう本買ったりとか。」
かめ「なるほど。」
渡邉さん「で、あと譜面をね、さっきのギル・エヴァンスだけじゃないですけど、好きなひとの譜面を買ったりとか。アレンジの本も、アレンジの本っていっても僕らの世代で有名だったのは渡辺貞夫さんの『ジャズスタディ』っていう本がある、それとか、ドン・セベスキーの『コンテンポラリー・アレンジャー』とか、まぁそれはあらゆる楽器の使いどころとか音域とかが書いてある本なんですけど、それを見様見真似で。だから学んだっていうよりも、いま必要なものだけつまみ食いしてっていう感じですね。あとはもう鍵盤で弾いて、なんかこの響きへんだなぁとかイヤだなぁとかっていうところを避けて、あ、この音が自分は気に入らないんだなと思ったら避けて、のちのち理屈に照らしあわせて、これのこと言ってたのかな、とか。だから頭にはそんなに体系立っては入ってないんです。」
かめ「そうでしたか。」
渡邉さん「自分でいままで理解できたことプラス経験則。だからアレンジャーですとは言えない。アレンジ、好きでやります、とは言えるけど。」
かめ「そうなると、ノイズっていうのは、ノイズとはいうものの考えて音を出しているんだと思うんですけど。」
渡邉さん「うーん、どうなんすかね、いま自分が音出してあんま無駄じゃないところで音出せればいいかなって。でも、無駄になっても別にいいやとも思うので。あんまり引っ込み思案になりすぎてもしょうがないと思うし、かといってまわりの音を聴かないで自分が好きなだけガンガン音出してんのもどうかと思うし、だからいちおう全部の音を理想的には聴きもらさないで、そのうえで何ができるのかなぁとか。あんまり考えてはないのかもしんないけど。」
かめ「フリージャズとか日本のノイズって、けっこう思想と近いじゃないですか。そういう部分にはあんまりタッチしてないって感じですか?」
渡邉さん「うーん、思想っていうか、世の中の事を考えたりはしますけどね。」
かめ「あ~、なるほど。」
渡邉さん「具体的なこともあるし、抽象的なこともあるかもしんないですけど。そういうのは日々、いやでも目に耳に入ってくるじゃないですか。それは常に入ってくるから考えざるをえないとか。」
かめ「うんうんうん。」
渡邉さん「そのなかでたまたま自分が関わりを持つようになったことに関しては、時間を使って動いたりもしますけどね、音楽以外で。」
かめ「はいはい。」
渡邉さん「それが音に出てないわけはないと思いますけど、そのことが音を出してるってわけでもないと思うんですよね、たぶん。」
かめ「そのことについて、まえまえから聞きたかったんですけど、渡邉さんが沖縄と行き来があるっていうのは、そういうのもあるんですか?」
渡邉さん「う~ん、まぁそれはそれで気になるとこだし、いろんなところに行ってるうちにいろんなひととつながったりとか、いろんな話を聞いたりとか、いろんなとこで同じ道を目的とか目標にして向かってみんな勝手に活動してるんですけど、その活動も、あ、あそことここ、こうやってつながってるんだ、とか、ここもったいないな、つながったらもっとこう太くなるのになぁとかって、たまにしか行かないからあんまりそんなこと向こうでは提言できないんですけど、ただそう思ったりして。あとは向こうのひとになんか書いてくれって言われて、こないだなんかちょっと文章書いたんですけど、せっかく機会をもらったらそういうのは書くし、だけどあとは、こればっかりはなんですかね、歴史とそれをどう評価するかって、あったことはあったことなんだけど、それをどう評価するかっていうのはひとによるので。でもあきらかにこれはマズいだろっていうのは、こっちも曲げる必要もないし、向こうでもねじ伏せる話でもないし……。」
かめ「う~ん。」
渡邉さん「でもわかってほしいしとか。だから“ねじ伏せる”とか強い言葉をなるべく使わないでっていう若いひとたちが最近ちょっと出てきてて。」
かめ「うんうんうん。」
渡邉さん「そこはね、おもしろいなと思って。お手伝いできるかなと思って。勝手に申し出てみたりとか。だけどおじいちゃんおばあちゃんが強い言葉を使うのもすごくわかるんですけどね。だって何十年もそれやってるんですもん。それはそれでわかるんだけど、そこをなんとかうまくつなぐような場が、なくはなかったりするんですよね、向こうでもね。」
かめ「そうなんですね。」
渡邉さん「だからそこはまたひとつ希望なのかなとも思ったりするんですけど。」
かめ「はいはいはい。」
渡邉さん「まぁ僕は僕なりに使える時間を使ってまたお手伝いしに行くっていうテイでやってるくらいかな。」
かめ「う~ん。」
渡邉さん「自分で考えて、勝手にひとりで向こう行って、ひとりで動いてひとりで帰ってくるんですけど、仲間とかいろんなひとに連絡して、使えるときがあったら使ってくれっていうふうにお伝えしてはあるんですけど。」
かめ「もうちょっと突っ込んで聞くと、どういうきっかけでまず沖縄に出会いがあったんですか?」
渡邉さん「最初は2014年っすかねぇ。新しい基地を辺野古に作ろうっていうのが最初に決まったのはもっと前ですけど、そこにブイがガーーーってできたのがたぶんその年かその前の年だったかで。なんかの拍子に沖縄観光のついでに見に行ったんすね。」
かめ「ふむふむ。」
渡邉さん「それがたぶんきっかけです。泊った宿がそういうひとたちが集う宿だったので、そこで初めていろんな話聞いたりとか。その当時は24時間監視のひとたちが寝ずの番をしてた時期なので。いまは搬入のときだけね。なんだっけ、ひろゆきさんか、ひろゆきさんが揶揄することで、ちょっと辺野古の名前が知れたときもあったけど、でももうそういうことは一瞬にして忘れ去られたのかもしれないけど。」
かめ「そうでしたね。」
渡邉さん「まぁだから、搬入の時間帯だけですけど、座り込みするのは。でも当時は寝ずの番で24時間体制で、2014年はまだやってたんですね。」
かめ「そうだったんですね。」
渡邉さん「僕は初めてだったから、夜中に出てくひとがいて『どこ行くんですか』って言ったら『寝ずの番をしにいくんだ』って。あ、そうか24時間やってんだってね。その宿から現場まで歩くとね、1時間くらいかな、かかるんですよ。僕もよく歩くからそれでわかったんだけど。よく歩いていくなぁと思って。いまでこそ辺野古に宿がいっぱいできたので参加しやすくはなってるんですけどね。」
かめ「それがきっかけでまた行ってみようかなと思って、通うようになった?」
渡邉さん「でもそのあと何年かしてからですかね。また気になって。2016だか2017年にもっかい行ってから、また少しずつまめに行くようになって、少し知らないあいだに知り合いが増えたり、いろんなところに連れてってもらったりとか、少しずつ見えてきた部分があったりとか。あと知らなかったこと、いままでこういうことがあって、だからいまこうなってるっていうこととか、全部知ってるわけではないですけど、少しずつ見たり聞いたり読んだりしてるうちに、もう、なんだろうな、飽きたなんていう言葉は出てこないんだけど、時間と金がないからう~~ん……っていうわけにもいかなくなっちゃったのかな。わかんないけどね。でも行くとね、しんどい部分もあるんですよ。仲間だけじゃないですからね。敵、味方もどうかと思うけど。こっちとむこうじゃないですか、要するに。」
かめ「うんうんうん。」
渡邉さん「向こうもこっちのことをそう思ってるんでしょうけど。まぁそこでそれと相対して活動するっていうのは、なかなかヘビーなんですよね。」
かめ「そうですよね。」
渡邉さん「毎日やってらっしゃる方に、それも何年も何十年もね、それを押し付けたっきり任せっきりっていうのもなんだかなっていうね。いったんそれを体験したからでしょうね。体験しないとなかなかそこまでは思えなかったりとか。やっぱヘビーだと思うんですよ。」
かめ「う~ん。」
渡邉さん「初めて座り込みしたひとたちが『こんなことが毎日起こってたのか』とかね、つい落涙してしまうひともたくさん聞きますけど、いちばん初めのときはもういたたまれなかったですけどね。俺は、座り込みできる近くのじいちゃんばあちゃんとか、若いひとでもいいんですけど、に座り込みはお任せして、俺はもうちょっと違うところに行っていて。要するに砂利を運び出したり積み込みしたりするための港は2か所あって、1か所は朝7時から夜20時まで開けてるんですよ。僕は主にそこに行って朝8時から終わりまでの12時間くらいかな、行ってるときはそこにずーっと張りついてますね。」
かめ「張りついていったいなにをする。」
渡邉さん「え~っとね、邪魔をするんです(笑)」
かめ「あ~、なるほど。」
渡邉さん「向こうは俺たちが邪魔だからどかそうとするんです。それがたまにしんどいときがありますけど、でも毎日やってらっしゃる、何十年もやってらっしゃるひとたちもいるのはわかるので。」
かめ「う~ん。」
渡邉さん「しんどいと思うのは行くまでなんですよ。行っちゃったらもう……。体を動かすまえがいちばんしんどいかな、俺は。」
かめ「その相手方のひとたちと話をする機会はあるんですか?」
渡邉さん「いろいろですね。3種類のひとがいて、おおまかに。防衛局の人間と、機動隊の人間と、警備会社の人間がいて。」
かめ「なるほど。」
渡邉さん「防衛局は、防衛省からの、沖縄防衛局からの人間なので沖縄のひともいるけど、本土からのひとも多いんですよね。機動隊は沖縄のひと=うちなんちゅうのひとが多くて、警備会社はまぁ寄せ集めなのかな、バイト君だから。だから三者三様ですね。それぞれの立場で。あとそうだ、要するにダンプの出入りを邪魔するわけなので、直接に話はできないですけど、ダンプの運転手さんとの目線は合うので、なんかこう、いちおうこっちにシンパシーを感じてくれているような運転手さんもいるし、蛇蝎のごとく、蛇を見るような目で見てるひともいるし、まぁいろいろですけどね。」
かめ「じゃあ、そこらへんの対話の回路みたいなのが開かれてるわけではない?その連中たちに言ったところでなにが動くわけでもないんでしょうけど。」
渡邉さん「うん。ただ、防衛局は、砂利を溜めとく敷地のなかからまず出てこないので、こっちも入っちゃいけないので敷地には、そのギリギリのところで、いわゆる公共の道路を通って車両が入ってくるので、そこの出入りを牛歩ってゆって、遅らせるっていうことですよね。1割でも2割でも入ってくるもの出てくものを遅らせるっていう。だからまったく止めるっていうのは無理なんですけど。それをやるとやらないとでは……。塵も積もればって感じで。」
かめ「なるほど。」
渡邉さん「いまできることを皆さん考えた結果、いまやってるんでしょうけどね。」
かめ「うんうん。」
渡邉さん「うちなんちゅうのその機動隊のひともひとによるんですよね。機動隊だからどう、警備会社のひとだからどうっていうよりは、その中でもひとによると思います。仕事だから、のろのろ歩いてるのをあるていど早く歩くように促されるんですけど、言葉だけでいうひともいるし、ちょっと背中を押して歩みを進めるようなひともいるし。ほんらい僕らの体に触れてはいけないはずなんですけど。」
かめ「なるほど。」
渡邉さん「みなさんいろんな事を毎日されてますよ、地元のひとたちは。」
かめ「そういう活動をしてる方々っていうのは、ふつうに職業があるなかで、合間を縫って、そういう活動をしてるって感じなんですか?」
渡邉さん「お仕事を定年されたりとか、リタイアしたひととか、自分の時間を使ってきてる方が多いかな。やっぱり仕事を持ってると難しいですよね。」
かめ「うんうん。」
渡邉さん「毎週決まった曜日だけ、決まった時間だけって来られる方もいるし、毎日朝は絶対いるっていうひともいるし、もうさまざまです。俺とかはたまにしかいないから、一日張りついていても疲れはするけど、決まった日程が終われば帰りますからね。ほんとしんどいと思いますよ。」
かめ「そのなかで若いひとたちも最近はけっこう出てきている?」
渡邉さん「そうですね。住み込んで、よそから、内地から、現場近くに家を借りて住んでたり。その若いひとの周りにも若い仲間がきっといるはずだし、そこから少しずつ広がればいいし。広がるために、俺は普段こっちにいますけど、できることがあれば、まぁ冊子をもらって、置かせてもらうところを見つけて配るくらいはできなくもないので。できることはやるけどもって感じですね。」
かめ「僕の大学の同期にも、仁士郎くんっていう子がいましたね。」
渡邉さん「はいはい、元山さん。」
かめ「あ、わかりますか?そうですそうです。」
渡邉さん「え?同級生なの?」
かめ「はい、大学の同級生です。話したことはほぼないけど。」
渡邉さん「県民投票はあのひとが言い出したんですもんね。」
かめ「そうでしたね。」
渡邉さん「そうかそうか、ね、またこういうとこで妙にまたいろいろつながったりするから、要するに少し広がってる感じがするので、こういうふうに急に物事をひっくり返そうというのはなかなか難しいけど、少しずつ動くと、なんとか物事は少しは動くんじゃないかって。そこはあんまり疑ってはいないです。ただ俺が死ぬまでにどうなるかはわかんないですけど。でも、そう思って動けるひとがいたら動いてほしいなっていうのと、あとそういうひとと期せずしてつながれるのは、動かないとつながんないだろうしな、とも思うからですね。上だけ向いてあーんって口を開けてて、おいしいものが落ちてくるって、なかなかないですからね。」
かめ「そうですね。」
渡邉さん「やっぱ食べにいかないと。探しにいかないと。探しにいって『わっ!これまずっ!』っていうのもあるかもしんないですけど。」
かめ「日本のなかで政治的な活動するっていうのは、けっこう風向きが悪かったりするじゃないですか。」
渡邉さん「俺なんてほら、活動らしい活動してないからどっちも大丈夫なんですよ。音楽でも、沖縄方面でも。俺の場合、外からの風を受けてるような気はしないですけど。だから全然大丈夫。でも個人的にそんな話になると、みんなまわりは同じような感じですよ。時間を削ってまで、そこまではできないけど、それはよくわかるし、俺も知ってる、とか。そう言ってくれるひとがたくさんいるから、それでまずはいいんじゃないかしらって。そう思ったらおまえも動けよ!って、そういう話でもないしね。」
かめ「そういうことだったんですね。ようやく、渡邉さんが沖縄とどういうつながりを持ってるかが見えてきました。」
渡邉さん「たいしたつながりはないんですけどね。」
かめ「そういう少しのきっかけとか出逢いで、まるっきり変わっちゃうっていうか、動かされることがありますよね。」
渡邉さん「だって、GOKの引っ越しを手伝っただけなのに、こんなことになってるじゃないですか(笑)」
かめ「いや、そうなんですよね(笑)あの倉庫で、ふたりで飲ませてもらったときに何かを確信しました。このひとはたぶんすごいバンドを作ってくれると思って。」
渡邉さん「(笑)あっさり裏切るかもしれないけどね。」
かめ「いやいやいや、大丈夫です。村のひととかに盆踊りやるって言うと、盆踊りをやるってところまでは当然いいねって言ってくれるんですけど、そのあとに『盆踊りって言ってもじつはノイズなんですよね』とかって言うと、まずノイズってなにかをじいちゃんばあちゃんたちがわかるわけもないんですけど、まぁでも楽しそうだからいいなとかっていって、けっこうノリノリになってくれるところもあるんですよね。」
渡邉さん「ほかのバンドのひとたちも人数がいっぱいいるじゃないですか。だから勝手にね、混ざってもらえれば全然いいなって思って。」
かめ「そういうのがいいですよね。」
渡邉さん「知り合いもそこそこいるし。」
かめ「そうみたいですね。蓋を開けてみたらあのひとも行くし、このひとも行くんですかって。」
渡邉さん「そうそうそうそう。つーかGOK絡みだからだいたいみんな近いんだよね。」
かめ「そうですね。もう前日リハからどうなっちゃうかな……とか思ってて(笑)」
渡邉さん「カオスだろうね(笑)」
かめ「前日が本番な可能性もけっこうあるなと(苦笑)」
渡邉さん「(笑)」
かめ「ちょっと楽しみです。」
渡邉さん「ですね。」
かめ「そもそも、今回のメンバーはどうやって集めたんですか?」
渡邉さん「まずあのGOKの引っ越しの話を教えてくれたのが、チューバの高岡君なのね。で、俺は2日間しか行けなかったけど、そのときにかめちゃんと会って、あんな話になって、よもや呼んでくれたから、高岡に声かけないわけにもいかないなってのもあって。そして高岡と琵琶のひとの3人で一緒にやってたから、まぁその3人は決まりだなと。で、盆踊りだからドラム、ベースとかいないとちょっとねぇ、屋台骨がしっかりした方がいいなと思うんで。で、もうひとつ、ギター3人とドラムだけっていうフリーなノイズのバンドをやってて。で、それをくっつけて。そして今回のベースのひとは高岡君とかがよく一緒にやってるひとなのね。」
かめ「うんうんうん。」
渡邉さん「あと歌か。歌は高岡君とか俺もよく行ってる立ち飲み屋の女将さんっていうか、まぁ俺より年下なんだけど。でも昔バンドやっててけっこうなひとが友だちなのよ。」
かめ「へぇ~。」
渡邉さん「むかし歌も歌ってたし。それで、こんな話があるんですよ、『来る?』って聞くと、『行く!』って言うから。」
かめ「(笑)なるほど。」
渡邉さん「そこで8人が決定で。そこに、ついこないだ立ち飲み屋の客で、ギター弾くひとなんだけど、俺が知らないひとで行きたいって話がねじ込まれて、ギターはいらないなって思ったんだけど、かめちゃんに相談したらいいですよとは言ってくれたから、あ!ひとり増やしていいのか!だったらギターじゃなくてドラムだ!っつって。」
かめ「はいはいはい。」
渡邉さん「2台にしてこれでもうリズムは盤石だなと思って。」
かめ「なるほどなるほど。」
渡邉さん「って経緯ですね、あのメンバーは。新しく呼んだドラムは俺が20代の頃から一緒にやったり、常に周りにいた仲間のうちのひとりですね。」
かめ「どうやら松井文さんの高校のドラムの先生だったらしいですよ。」
渡邉さん「へー!それは初めて聞いた!松井さんのバンドのベースの種ちゃんっていうのも知り合いだったりとか。あれ、ピートは松井さんのバンドだったかな?」
かめ「そうですそうです。」
渡邉さん「ピートも知り合いだし。いや~GOKが真ん中にあるとそういうことになるのかね。」
かめ「そうでしょうね、きっと。」
渡邉さん「そうそう、そんな人選ですね。今回は。」
かめ「なるほど。理解しました。いやいや、本番が楽しみです!」